goya303’s diary

考えをまとめる練習を練習するブログです

チーム力に関するメモ

チーム力が足りてない兆候(抽象度ばらばら)

総括すると 健全な衝突ができていない につきそう

  • 認識があっていないのにあっているふりで場が流れる
  • 意思決定ができていないのにできているふりで場が流れる
    • 誰が何をいつまでに?が曖昧
  • 違和感や不満を口にできない
    • ローパフォーマーへの指摘がされない
    • 無関心さへの指摘がされない
  • 部屋の中の像を指摘できない

とかかな?

改善方針

あなたのチームは、機能してますか? の5つの機能不全をどうするか?に尽きると思う

5つの機能不全
1. 信頼の欠如
2. 衝突への恐怖
3. コミットメントの不足
4. 説明責任の回避
5. 結果への無関心

振り返ってみると、自分はこれまで 1. 信頼の欠如 2. 衝突への恐怖 にばっかり注目していた気がする。

いわゆる心理的安全性的な側面にとらわれていたのかも?

今考えると 5. 結果への無関心 的な側面が満たせられなければ、いくら心理的安全性が確保されていても、3. コミットメントの不足 4. 説明責任の回避 にリーチすることは難しく思う。

結果 への意識付けと言う点では、自分としては the goal を推したい。つまり制約理論的な観点である。

構成員の意識という視点では、制約理論を理解することによって

  1. アウトカムドリブンで考える
  2. 無駄な仕事、への意識付け

ができるのではないか?

さらに踏み込んで考えると、チーム単位で結果への責任をもたせるハードコアな取り組みが有効かもしれない。あくまで、結果責任ではなく実行責任と説明責任についてだけど。

ICL 抜いた

ICL を抜いた

 

左目の光輪症がひどく日常生活に支障をきたしていたためである

具体的には

  • 日中外に出ると光輪(というより輪っか状のぼやけ)が常に見えて気になる
  • 部屋に差し込む日光による光輪によってモニタをみるじゃまになる
  • 乱視の補正を入れていないレンズだったためか文字がかすれて見えて、結局仕事中は乱視矯正メガネをしていた

などがあった

 

仕事中カーテンを締め切ったり外出時に必ずサングラスをつける必要があり、+よりーのほうが大きいと判断して抜くことを決心した

 

一応2度ほど、レンズ位置の調整をしてもらったのだが根治しなかった...

(1度目の調整でだいぶマシにはなった、それ以前だとサングラスをしていても30分も外にいると目が開けられなくなっていた)

 

メガネがクソ嫌いで ICL にかけたのだが残念

60万ほど失ったが勉強代だと思うことにしたい

 

現時点の悩みとしては、

抜去手術から1週間たつが右目の予後が悪く視力が回復していない

切開傷の治りが悪く内液がリークしており眼圧が低く網膜がクシャッとしているらしい

今日針を追加してもらってまた1週間ほど様子見ることになった

良くなるといいな

 

あと惹起乱視がいい感じに収まるといいな

考える技術・書く技術

 

 

 amzn.asia 

 

 

 

読んだ

 

主張の論理構造をピラミッド構造に整理して文章として落とし込め、って話を大枠していると理解した

 

自分が普段手癖でやっていることを整理されたようでよかった

苦手な人にはぜひおすすめしたい

 

こっちの概要版でもいいかも

 

要点メモ

  • 導入部の構造テンプレ S-C-Q(Situation: 状況 - Complication: 複雑化 - Question: 疑問)
  • 「課題」とは、イエス・ノーで答えるべき質問形式のことをいう

 

 

思ったこと

  • 内容の具体化・深掘りは自分足りてないことあるかも?
    例: 適切な *** はどの程度か? → 現状の *** はあるべき値に対して高すぎるか?
  • ロジックツリー的な思考形式・整理形式が扱えるのはマストだが、認知フレームが固着してこれ以外の認知ができなくなるとつらそう。有機的な思考が難しくなりそう。逆に言うと有機的な考えをいい感じで文章化するのは、一段階上の難しさがあるってことだな。

少子化のミームと属する社会の衰退

先進国化すると少子化が進むのは普遍的な法則だと思っていたが、これはいわゆる 西側  的な先進国だけの話ではないか?

今の自分の知見では想像しづらいが、イスラム原理主義系の社会が仮にそのままその特性を保ったまま新たな形で先進国化すると、教義的に少子化リスクは低くなるのではないか?

そう考えると自分等が近代的だと考えている価値観(自由や男女平等など総じて個人を大事にする考え方)は、短期的には流行りやすきが長期的には母集団を縮小させて滅んでいくミームなのかもしれない

個人的にはこのカッコつきの「近代的な」価値観の方が好きだからそちらがより繁栄してほしいけど、ミームの気質的にきびしいよなー

絶望的な気持ちになる部分があるが、それも自分が親しんだ価値観へのノスタルジーに過ぎないかもしれない

車検が切れていた

車を車検に持って行こうとしたら車検が切れててびびった

自分で自賠責入ってー仮ナンバー貰ってー、てやってちょっとした勉強になった

でも手間はかかるしビビるから、次の車検までにはマイナンバーで自動通知してくれるようになるといいな

 

あとタイヤ交換が必要で合計15万かかってまたびびった

タイヤ交換したらステアリングが軽くなってさらにびびった

教室の流動性

よく言われていることだと思うけどいじめは流動性のない環境でよく起こる

イメージしやすい例は学校や軍隊や小さくて古い会社などだろう

軍隊や会社は成人の話なのである程度は自己責任で片付けるとして(実際はそんな簡単じゃないけど)、問題は学校だろう

学校を変わるというのが最善手ではあるのだが、学区をまたぐ煩わしさや子供のストレス耐性を考えるとかなりハードルが高い

 

そこで考えたのだが、学年ごとのクラス再編をまたずにクラス間異動ができる制度を標準化してはどうだろうか?

世間一般の会社でも自己希望での部署異動を制度化しているところは多い

それのように生徒の自己希望で気軽にクラス間を異動できるようにするのだ

たとえば、人学年 30人 × 3クラス の学校があるとして、1クラス 35人を上限ぐらいなら増減しても対応できるだろう

異動理由をいじめなど重たいものだけに限定すると希望を出すハードルが上がってしまい制度が機能しなくなるので、クラスメイトのノリが肌に合わないとかでもOKな感じにするといいだろう

 

流動性がよくなることはいじめで苦しんでいる人以外にも良いことが多いと思うのだがどうだろうか?

 

クラス編成は教師の負担を考えて作ってる等の反論があるだろうが知らん

先に教師の異常な労働環境の改善をするべき

飲み会の帰り道

飲み会本体より飲み会の帰り道の方が深い話が聞けて好きかもと思った

 

飲み会だと色んな人の話しがガンガン切り替わるし、ノリも勢いや集団としての面白さが重視される

 

帰り道だとかなりしっぽりした雰囲気でその人の悩みをディープに話してもらえる

これは飲み会本編が大人数だったのに1対1に切り替わったギャップや酒の回り具合や疲労度などの要因の結果なんだろうな

 

今まで自覚してなかったなー