goya303’s diary

考えをまとめる練習を練習するブログです

車検が切れていた

車を車検に持って行こうとしたら車検が切れててびびった

自分で自賠責入ってー仮ナンバー貰ってー、てやってちょっとした勉強になった

でも手間はかかるしビビるから、次の車検までにはマイナンバーで自動通知してくれるようになるといいな

 

あとタイヤ交換が必要で合計15万かかってまたびびった

タイヤ交換したらステアリングが軽くなってさらにびびった

教室の流動性

よく言われていることだと思うけどいじめは流動性のない環境でよく起こる

イメージしやすい例は学校や軍隊や小さくて古い会社などだろう

軍隊や会社は成人の話なのである程度は自己責任で片付けるとして(実際はそんな簡単じゃないけど)、問題は学校だろう

学校を変わるというのが最善手ではあるのだが、学区をまたぐ煩わしさや子供のストレス耐性を考えるとかなりハードルが高い

 

そこで考えたのだが、学年ごとのクラス再編をまたずにクラス間異動ができる制度を標準化してはどうだろうか?

世間一般の会社でも自己希望での部署異動を制度化しているところは多い

それのように生徒の自己希望で気軽にクラス間を異動できるようにするのだ

たとえば、人学年 30人 × 3クラス の学校があるとして、1クラス 35人を上限ぐらいなら増減しても対応できるだろう

異動理由をいじめなど重たいものだけに限定すると希望を出すハードルが上がってしまい制度が機能しなくなるので、クラスメイトのノリが肌に合わないとかでもOKな感じにするといいだろう

 

流動性がよくなることはいじめで苦しんでいる人以外にも良いことが多いと思うのだがどうだろうか?

 

クラス編成は教師の負担を考えて作ってる等の反論があるだろうが知らん

先に教師の異常な労働環境の改善をするべき

飲み会の帰り道

飲み会本体より飲み会の帰り道の方が深い話が聞けて好きかもと思った

 

飲み会だと色んな人の話しがガンガン切り替わるし、ノリも勢いや集団としての面白さが重視される

 

帰り道だとかなりしっぽりした雰囲気でその人の悩みをディープに話してもらえる

これは飲み会本編が大人数だったのに1対1に切り替わったギャップや酒の回り具合や疲労度などの要因の結果なんだろうな

 

今まで自覚してなかったなー

久しぶりの新幹線

久しぶりに新幹線に乗っている

現職になってから乗る必要なかったんで久々に乗れて嬉しい

 

飛行機に比べてリードタイムがないのと景色が卑近な感じなのが良い

 

ただ自由席でも席がゆったりめなので飛行機のあのヒリヒリした感じが無いのが少し寂しい

あれって深夜バスに似た緊張感だよな、とこれを書きながら思った

自分で考えないことの大事さ

よくわからないいジャンル・手をつけ始めたばかりのジャンルに関しては、自分の頭で考えて試行錯誤せず詳しい人や書籍の言うことに脳死で従ったほうが、効率が良いことが多い。

自分がよく実践しているのは、初めての飲食店ではその店のおすすめを食べることだ。

ポイントとしてはその時の自分の気持は無視する。

 

cocolog-nifty.hatenablog.com

 

会社の読書会でその話題がでて、それについて最近あたらめて考えている。

先人の知識を頼らずに自分の頭で考えるというスタンスは、一見立派に見えるけど多くの場合はただの反知性主義だよなぁ。逆に言うと、まずは自分で考えないというスタンスは反反知性主義だなぁ。

とか考えている。

 

自分は比較的できていると自己認識していたのだが、先日のベンチプレスのTシャツ素材で情報の取捨選択を致命的にミスっていることに気づいた。

反省。

 

反省の一端として、自己流に調整した筋トレメニューをやめて、Sho Fitness の トレーニングプログラムどおりに行ってみることにした。

 

note.com

正しい方法に巡り合うのは大事

最近筋トレでA7のTシャツを使い始めた

体勢を組み安くてめちゃくちゃいい

これまで、肩甲骨の寄せ方とか挙上時にバーベルが肩の方に流れるとかで悩んでたのがホント馬鹿みたい

 

綿のTシャツを使うべきだと言う話自体は元々知っていたが、「言うてそんな違いないやろ」と考えていてエアリズムのままトレーニングをしていた

そんな折、エアリズムより滑るスポーツ用シャツでスクワットをしてバーベルがめちゃくちゃ滑るのにビビって「服の素材って案外関係あるかも?」と感じて、綿のTシャツを試したところめっちゃよくてA7購入へ...という流れ

 

だらだらとだけどこんだけ長くトレーニングしていて話にも聞いていたのに全く理解していなかった

自分自身を効率厨的なところがあるなと自負していただけに結構ショックを受けていて、自分が気づいてないだけでもっとこういうことは身の回りに潜んでるんだろうな、とあらためて考える切っ掛けとなった

 

メモ

  • デッド  |127.5kg × 5|REP換算 146.6kg
  • ベンチ  |82.5kg  × 5|REP換算 95kg
  • スクワット|100kg ×5   |REP換算 115kg
  • 合計 |356.6 kg

 

 

自己評価・自己アピールの難しさ

自己評価の季節がきた

多数派だと思うけど自己評価・自己アピールが苦手で憂鬱な季節 😭

 

今の職場は、成果とチャレンジの2軸で自己評価を書く必要がある

成果とチャレンジの2軸で評定すること自体はめちゃくちゃいいことだと思っているのだが、自分でこれをアピールするとなると話は違ってどう書けばいいのかわからなくなる

チャレンジは自分にとっては勇気を振り絞ったことがらでも「他の人はあたりまえにやってることだしなぁ」となる

成果となるとより厄介で数値で語れる成果って少ないし場合によっては嘘になる

そもそも個人的にありとあらゆる成果(結果)は運の要素が一番強いという世界観であるし、自分の目論見がバチッとハマって出たような成果も環境や周りの人に恵まれたた結果でしかなかったりする

 

ってな感じで毎度悩んでいるのだが今回は割り切って、成果やチャレンジではなく具体的なアクションだけを書いてみた

「~やってた」「〜やってみた」みたいな

周りの人が360° 評価をするときに「そうなんだー」となって書きやすくする手伝いになればいいやー、という諦観的なモチベーションではあるのだが思いの他書きやすくてよかった

 

コーチングでいう観測性や認知行動療法でいう事実と解釈的な捉え方もできるかな?と考えていて

「成果とチャレンジ」は主観が強いので自信をもって言いづらいのに対し、「アクション」は事実だけなので照れも自己卑下もなく書けるし誰かに後ろ指をさされる心配はない

 

これは自己評価・自己アピール能力が低い自分の1種の逃げなのはわかっているし、上長が評定を下すときに困るのもわかってはいるが、組織的にやってみてもいいのではないか?と帰り道に思ってみたりしてみたりした